今でこそ、技術者トップの証ともいえる「技術士」の資格を持ち、社会の第一線で活躍している新田さんですが、摂南大学在学中はあまり勉強をした記憶が無いといいます。特に決まったサークルに属さず、いつも10人ぐらいの仲間といっしょに、遊びや旅行の計画を立てたりするのが楽しみで、講義室にいるより食堂でワイワイ話しをしている時間の方が長かったそうです。そんな新田さんも就職の時期を迎えますが、世は土地神話に酔うバブル絶頂期。別に土木にこだわるわけでもなく、何となく「鉄道会社バックのデベロッパーなんかがいいだろう」と思い就職活動を始めた矢先、研究室の先生から「高い技術を4年間かけて身につけてきたのになぜ不動産屋なのか!?」と叱責されます。それまで真剣に自分の将来について考えてこなかった新田さんは「なぜ土木工学科に入ってきたのか?」と自問自答します。「土木」とは、その字のとおり「土」と「木」。人工的だが自然に一番近い仕事。そして「土木工学」は英語では「Civil engineering」、それこそ「市民のための学問」。その結果に多くの人が喜んでくれるということに気付くのでした。それまでの就職に対する甘い考え方を180度変えた新田さんは、大学でたまたまあった今勤めている会社の前社長の講演で初めて「コンサルタント」というものを知ることになります。それがきっかけとなったのか、8月には大学の推薦書を持って「中央復建コンサルタンツ株式会社」の門を叩いていました。そして、入社試験の作文では、当時問題となっていた、15名の犠牲者を出した「越前海岸崩落事故」を引き合いに出し、「土木というものは砂場のトンネル。形ばかりにこだわらず、崩れると予測がつくところは安全性を第一にゆとりを持ったものにしなければならない」と記し、入社を許されます。 |