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− 2003年8月号 −
校友訪問
81年工学部・経営工学科(現マネジメントシステム工学科)卒
白 井 秀 司 さん

(三宅工業株式会社勤務)
今回の校友訪問は、東大阪市にある、曲げ加工やマテハン機器のメーカー「三宅工業株式会社」の「エアバランサ」部門の長として働く白井さんを訪ねました。
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全関西学生スキー2部昇格祝賀会 03/4/20
白井さんは、77年摂大に入学してすぐに、当時同好会だった「スキー部」に入ります。シーズンオフはひたすら淀川の堤防を走る定番メニューをなんとなくやりますが、翌年春の「白馬山の家」での合宿ではそのハードさについていけず、あえなくダウン。その時、「競技としてのスキーは、遊びのそれとは違う」ということに初めて気づきます。そして2年。いきなり主将となった白井さんは、夏のトレーニングを専門雑誌を手本に、走り込みと筋トレ中心のメニューに変え、翌年には念願のインカレ出場を果たします。でも結果はあえなくコースアウト。学生スキーの頂点を見て、自分たちとのギャップを痛感したといいます。チーム作りからやり直した夏のトレーニングでは、冬のスタート台の緊張感をイメージし、「その時のために今苦しい思いをしているのだ」と自分自身を奮い立たせ、熱風の最中「太間公園→枚方大橋→高槻→淀川新橋→豊里大橋」のコースを部員みんなでひたすら走り続けました。その甲斐あってか、翌年のインカレでは大回転で150人中54位に入ることができ他の参加者も成長のあとがみられたのでした。
 4年となった白井さんは、卒業研究のため羽石ゼミへ入ります。前期は学生を対象にした性格適性検査をもとに分析した「現代学生気質冊子」をまとめ、後期は、やる気を数値で表すための測定方法である「新しいモラルサーヴェイ」について研究しました。右も左もわからない研究内容。でも羽石先生をはじめいろんな人の助けや、根っからの未知の事に対する探求心にも助けられ、この時ばかりは、「生まれて初めて本気で勉強した一年」だったそうです。

三宅工業株式会社
 そして、いよいよ就職。自分の性格を「鶏口牛後」と例える通り、白井さんは大企業の歯車となるより、中小企業で活躍したいとの思いが強く、81年厨房機器メーカー「伸晃金属工業〔株〕」(現〔株〕伸晃)に入社。期待通りに2年目で早くも魔法瓶の樹脂部品を受注、製造、外注手配、配送すべてを担当し、「ものづくり」のノウハウを会得します。
 88年に三宅工業〔株〕に転職した白井さんは、8年間在籍した金属曲げ加工部門で、金属の性質と加工方法を学び、そして96年、省力マテハン機器「エアーバランサ」部門を立ち上げの責任者として抜擢されました。しかし、意気揚々と始めたものの、3年連続の赤字。ついい社長に印籠を渡され、社内分社でたった一人で独立採算部門として再出発。資本金や運営資金も家からの借金でまかない、大学での友人の助けもあり、なんとか4期連続で赤字も回避し今に至っています。結果的には社内SOHOの先駆けとなり、「鶏口牛後」を地でいった白井さんでした。
 そんな白井さんは、今こうしてやっていけるのは、スキー部で経験した、「真剣勝負」と、羽石ゼミで知った「問題探求のやり方とその大切さ」があるからだと言います。今でも交流のある、スキー部やゼミの仲間達それに羽石先生。白井さんの生きる力の源は摂大で出会った人との繋がりの中から生まれているものなのでしょう。
エアーバランサを説明する白井さん→

三宅工業株式会社のホームページ http://www.miyake.co.jp/

〜編集後記〜
筆者も実は白井さんに普段からお世話になっています。在学中からの知り合いで、春風祭や摂大祭では一つの目標に向かって頑張ったことが昨日のように思い出されます。

さあ次はあなたの所へおじゃまするかも・・・!次回の校友訪問もご期待下さい。

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